樹海Tシャツ販売サイト「樹海堂」の日常


by jukaidou
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鳴沢時計台、2台目発見。

新年最初の書き込みは、樹海の話題をひとつ。
昨年のことであるが、樹海で見つけた箱。近づいてみると、鳴沢時計台と書かれていた。
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以前見つけた鳴沢時計台と色は違うが構造がほぼ同じ。
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同一人物によるものか、それとも模倣犯か。
悪戯目的(悪戯だとしても、何に対しての悪戯か?)か、それとも何かの研究か?
特に意味は無いものなのかもしれない。
樹海にこのようなものを置いて何の意味があるのかまったく不明だが、あるひとつの仮説を立ててみた。

樹海を散策している人間がいるとする。彼が時計台を樹海に置いた人物である。
彼が樹海を歩いているときは、彼の心は完全に樹海に囚われ、我を忘れ没頭し、樹海の空気を取り込み細胞に行き渡らせ生命を感じ、五感で感じ、現実を忘れ樹海の一部になる。
樹海に訪れた事のある方はお分かりかもしれないが、樹海とはそういうところである。樹海という母に抱かれた赤子のように、心安らぎ永遠に樹海になってしまう所なのである。
そんな気持ちで樹海を歩いている時に、彼はこの時計台に目をやる。
そしてその時計の指す時刻を見て、「現実に返る」のである。
樹海とは誰しも受け入れてくれる母以上の神を超えた存在なのである。永遠に樹海になりたい気持ちはよく分かる。痛いほどに。
だが、忘れてはならない。私たちは、「現実」という中を生きる人間なのである。
泣きながら、もがきながら引き裂かれながらも集団社会を生きねばならないのである。
ふと時間と言うものを見て、現実と言う絶望に返らねばならないという合図が鳴沢時計台なのではなかろうか。おそらく樹海を散策している彼は、涙を流しながら樹海に一時の別れを告げるのである。しかし泣くことはない。樹海はいつでもそこに待っていてくれているのだ。

以上が私の説である。樹海にある聖杯と共に意味不明な物体である鳴沢時計台。
私の説が正しいのであれば、鳴沢時計台とはつまり「現実」そのものなのである。

樹海堂管理人
樹海堂
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by jukaidou | 2007-01-09 23:41 | 青木ヶ原樹海レポート